『データ資本主義』 野口悠紀雄

工学部出身とはいえ、やたらと最新のIT技術に詳しい経済学者である著者によるデータサイエンスについて技術的に解説している章では
ニューラルネットワークDeep Learning
・重回帰分析
・決定木
ベイジアンネットワーク
などの機械学習の用語が出てきて少々腰が引けてしまったが、ビッグデータやAIをめぐる世界動向、時代変化の観点から解説したのが本書である。
「解説した」という表現は少々弱いかもしれない。
著者は執筆の動機を以下のように述べている。

こうした状況を変えるためにはまず必要なのは、いま何が起きているかを正確に理解することだ。
本書は、ビッグデータに関する日本の状況に強い危機感を抱いて書かれた。

警鐘を鳴らすために書かれた警世の書という方が正しいかもしれない。

著者はデータが資本となる時代が到来したという。
個々のデータには価値がないが大量に集まると大きな価値となる。このことは本書を読んだあとでもまだ理解できないままである。無から有が生まれる。量から質への転換と

いう弁証法的表現が想起されるような事象はどうしても理屈で理解しようとしても何か無理がある。
そして、本書の6章である仮定の下でGoogle持ち株会社アルファベットとFacebookビッグデータの資産価値を評価するとざっくり$0.5~0.7 trillion程度で時価総額を超

えるというから驚きである。

試算は以下の通り。
通常の資産価値をK、ビッグデータの価値をB、税引き後利益をPとすると、
Alphabetの場合、総資産利益率ROAは9%なので P/K=0.09
ビッグデータの価値を資産に組み入れたときのROAをトヨタ自動車並みの3%と仮定すると
P/(K+B)=0.03
これより、B=2Kが導かれる。
Pは307億ドル、Kは3411億ドル、Bは6822億ドルとなる。

「また、さまざまな誤差を含むから、この結果の評価には慎重であるべきだ。」と但し書きしながらも

p159
ただし、グーグルやフェイスブック時価総額のほとんどが、同社が保有する建物や設備などの物理的資産の価値ではなく、ビッグデータの価値であることは間違いないだろう。

と結論付けているが、この箇所には納得がいかなかった。グーグルの資産の中核が物理的なものではないという点には同意できるが、ビッグデータ以外にも価値を創造する知

的資産がもっとあるのではないかという気がするからである。特許やソフトウェア資産は資産として計上されているのかもしれなが、資産として計上されていない企業内に蓄

積された知識や何よりも突出して優秀な人材が分厚い層をなしていることが企業価値を高めていると思えるからである。
しかし、「企業内に蓄積された知識」なども蓄積されたビッグデータの一種と考えれば大差はなく、この点についてはどちらかと言えば枝葉末節であり、あまり異議を唱えて

も詮無きことであろう。

むしろもっと本質的な所に注目すべきである。

それは、従来の経済活動の基本要素は生産設備、独占力、技術力であったが、データが資本の一部になりデータが経済を動かす時代になり、
科学の領域でも理論駆動からデータ駆動へのパラダイムシフトが起きているということである。
従来の常識は仮説なり目的意識をもってデータを収集するが、今では何をしたいのかを考えずに闇雲にデータを集める。何をするかはそれから考える。
全ての科学の分野でデータ駆動に転換しているとは思えないが、何やらMaterial Informaticsなる材料開発の手法が注目されているように、従来のシミュレーションとも違う

手法が開発され、材料開発競争の軸足が実験からデータ解析に移ると今まで日本が得意としていた実験中心の優位性が失われるかもしれないという。
企業が閉鎖的でオープンイノベーションに対応できていない点についても指摘している。

そして人材の不足は深刻な状況のようだ。

p143
日本ではもともとソフトウェア関係の科学技術が弱いが、データサイエンスのような新しい分野はとくに弱い。
(中略)
日本ではこの分野に人材が著しく不足している。ビッグデータの活用を進めるには、この問題の解決が重要な課題だ。

野口悠紀雄Onlineの経済最前線に「発展目覚ましい中国のIT産業を支えるのは、質の高い大学教育」という記事があり、<清華大学が世

界1で、東大は91位>という状況があることが紹介されている。教育研究体制がまだまだ弱いのかもしれないが、
ソフトバンクと東大とが提携してAI研究所を開設するというニュースが報じられ(2019/12/6)、
教育と人材は卵と鶏みたいなところがありなかなか一朝一夕にはいかないであろうが、まずは体制を整えようとする動きも出始めているようだ。

Facebookの仮想通貨Libraについて技術的な問題点についても指摘するが、より本質的な問題点として取引そのものを規制することができないことだという。

p175
マネーロンダリング、資金供与対策、脱税、不正取引といった問題には、基本的に対応できないのだ。その意味で、これは国家の支配が及ばない経済活動が可能になることを意味するわけで、国家体制に対する重大な挑戦になりうる。

法的後ろ盾がなければ法定通貨に代わることはできないと主張する論者もいるようだが、中央銀行や国家体制に挑戦する破壊的イノベーションはどのように展開していくのだ

ろうか?
ここで、David Runciman著"How Democracy End"のZuckerberg家からアメリカ大統領が生まれる未来話が思い出される。