『なぜ日本企業は勝てなくなったのか』(新潮選書)太田肇

日本の労働生産性はなぜ低空飛行を続けるのだろうか?
日本では働く人が組織や集団から「未分化」であるため、一人ひとりの意欲と能力を十分に引き出せていない。過労死、過労自殺の問題を組織という観点から考えてみるべく本書を繙いてみた。

近年の組織的不祥事は内容は異なるものの背景には日本の組織の共通点が存在すると指摘する。

その組織的な特徴は、濃密な人間関係で結びついた内向きの「共同体」としての性格を持っていることにある。共同体型組織は成員には利害を超えた忠誠心や貢献が求められる。人事評価は態度や意欲などの情意が重視され、正当な範囲を超える要求も忠誠を示すためには断ることができない。権限は曖昧で「空気」によって意思決定される「集団無責任体制」が敷かれる。共同体のウチとソトとの間には分厚い「壁」が存在するため、共同体の「空気」は「外気」の影響を受けない。

ジャーナリストの吉田典史は、「過労自殺」で世間の厳しい目が電通に向けられているにもかかわらず、社内の空気がいたって平穏だと指摘している。ランチの時間になると多数の社員が談笑しながら歩く光景が見られるし、若手社員五人に取材すると彼らは質問に淡々と応え、「これを機に反省し、皆で労働のあり方を正していこうといった雰囲気は感じなかった」そうである(吉田「『過労自殺報道』の陰で」)。

そして長時間労働の原因として、

  • 業務の設計、人員配置、仕事の進め方などシステムの問題
  • 個人が「未分化」

がある。そして共同体ならではの心理的圧力は強い。

まずシステム上の原因で、特定の人に長時間労働やストレスが生じる場合がある。個人の仕事の分担がはっきり決められていないので、仕事のできる人、責任感の強い人に仕事が集中するケースが多い。最初は期待に応えようと張り切って仕事をしていても、だんだんと負担が重くなり、やがて耐えきれずダウンするというパターンがしばしば見られる。ときには心身に異常をきたし、うつ病になったり、最悪の場合には前述したように過労死や過労自殺に追い込まれるケースもある。

仕事の分担が曖昧なので、成果というアウトプットで評価できずインプットである労働時間によって貢献度を推し量るしかない。「がんばり」を評価する風土で「がんばっている」ところを見せるには仕事を効率的に片づけるより、非効率なやりかた夜遅くまで残業していた方が残業手当も入るので得である。これは「パーフォーマンス残業」と言われるらしい。
工業社会の時代には共同体型組織は強みを発揮したが、ポスト工業社会では一人ひとりの専門性や適性が生かせない。これからは個人が「分化」し、自分なりの長期的なキャリア形成の展望を持つことのできる成熟した社会に変わっていくことを信じたい。

なお仕事の進め方などシステムの問題については以下の本を参考にした。

『ムダな仕事が多い職場』(ちくま新書)太田肇

個人を生かす組織を目指す視点など重なる部分もあるが、これからの日本の組織の在り方を考える上で『なぜ日本企業は勝てなくなったのか』と『ムダな仕事が多い職場』は両方をセットとして読むべきだろう。分量とテーマの点から後者の本の方がとっつきやすいかもしれない。