『原発事故最悪のシナリオ』石原大史(ひろし)

使用済燃料プールは脇役かと思っていたが、「最悪のシナリオ」の主役のモンスターであったとは知らなかった。
本書を読むと「原発事故最悪のシナリオ」を回避できたのは、“偶然”が寄与していたという思いにとらわれる。

もし福島第一原発4号機のプールが空焚きになっていたら、水蒸気爆発という最悪の事態になるので水での冷却はできなかった。
第1の偶然である。

ヘリコプターからの放水は、冷却のためではなく、プールが空焚きになっているかどうかを確認するためのリトマス試験紙的な放水であったという。
ヘリコプターは、最初の試みでは放射線が強すぎて侵入できなかったが、2日目には風などの気象条件によるものか放射線は侵入可能なレベルであった。
プールに水が残っていることが確認できたが、もし確認できなかったら水での冷却はできなかった。
第2の偶然である。

もちろん、命がけで作業に当たった人たちの献身なくして回避することはできなかった。
本社からの増員、兵站の支援もなく、水も食料も不足するなかで徹夜が続く。
福島第一原発で、「東日本壊滅」の危機の中で孤立無援の戦いを強いられていた心境を語った吉田所長の言葉を引用しよう。

逆に被害妄想になっているんですよ。結果として誰も助けに来なかったではないかということなんです。
済みません、自分の感情を言っておきますけれどもも、本店にしても、どこにしても、これだけの人間でこれだけのあれをしているにもかかわらず、
実質的な、効果的なレスキューが何もないという、ものすごい恨みつらみが残っていますから。

「英雄」と称賛されるが、実際には「やるしかない」という状況によって命がけの作業を強制されていたのだった。
いざ事故が起きたら「誰が命をかけるのか」という問いが生じる原発を稼働させることに、技術の継承が必要であるにしても躊躇いを感じずにはいられない。