『こうすれば日本も世界一』福田誠治(2011年出版)

いつかフィンランドの教育に関する著書を繙いてみたいと思っていたが、ジャレッド・ダイアモンド氏の近著でもフィンランドに関して叙述されていたので勉強しようと思い立った次第だが、まだ十分に咀嚼しきれていない気もしつつ、まあ、とりあえずメモしておこう。

学びの習慣の形成には学校の施設や家庭の勉強部屋や本といった文化財の量だけではなく、その使い方の質にあるという。知識を与えるのではなく学ぶ姿勢を身につけさせ、これからの人生に通用する学力、実力を身につけさせることが大切であるが、本書では家庭の格差を国がなんとか埋めようとするフィンランドの教育が紹介されている。

まず、教育は多くの要素が複雑に絡み合って成立する。

  • 教科書を使いこなす教師の力量
  • 働きかけの時機を見極める教師の専門性
  • 学び方を教える教育
  • どのような人間に育って欲しいかという教育観
  • この子ならどのように育っていけそうだという展望
  • 本人の学びの意志

知識吸収型ではなく表出型言語力の育成がグローバリズムへの対応として重視されているが、授業時間は少なく、学習塾もなく、取り立てて受験勉強もしないフィンランドがPISAのトップ常連国であることは、モーレツ教育のアジアの国からすると不思議なのである。教師になるのには大学院卒業の資格が必要で教師の質を高めようとしているが、教育のシステムだけではなく、社会全体が教育的になっているということもあるようだ。日本くらいの市場規模であれば欧米の映画を吹き替えても出版物の邦訳版もペイできても、フィンランドでは市場規模が小さいため、ほぼ毎日、放映される欧米の映画は吹き替えなしの字幕付きでテレビ番組もフィンランド社会の文化資本となっている。

フィンランドにホームステイした日本人高校生が紹介してくれたというエピソードとして、

高校の英語の授業で、ある日、レデ先生が、授業に使う教科書を適当に読み流して、「ふーん、特に面白くないわね」と言い放ち、教科書を止めてカセットテープをかけ始めた。男性の声で身のまわりの出来事が語られていく。二〇分後にレデ先生は、突然そのテープを止め、「今、聞いた内容を思い出せるだけでいいから紙に書いて、書き終わったら出てっていいわよ」と指示した。日本人高校生留学生は、途方に暮れるが、何とかさわりの部分だけを思い出してやっと書き上げた。だが、テープが流れている間、机にうつぶせになってぼーっとしていたと思っていた男子生徒が、テープが終わると同時にものすごい早さでペンを動かしだし、ノートの2ページ分を軽々埋め、瞬く間に教室を去っていった。

とてもTOEICのリスニングで苦戦する私のレベルでは話にならないと感じた。フィンランド人が英語が得意な社会的要因として、テレビでも映画でも自国で供給できるコンテンツには限りがあり、娯楽を享受しようと思っても英語ができないと選択肢は非常に限られてしまうというのがあるらしい。英語なしでは生活の質が低下してしまうのでは、モチベーションは格段に違う。少し大袈裟に言えば、強迫観念に近いのではないかとも思ってしまう。

それにしても教科書に対して「ふーん、特に面白くないわね」と言い放つことの許される教育の自由さや教師の裁量には驚かされるが、フィンランドの先生はよい授業ができるように、授業以外の負担はほぼなく、ゆとりがあるらしい。
各国の教師の休憩時間を除く(平均)在学校時間は以下の通り。

在学校時間
フィンランド 6:15
スコットランド 7:36
イングランド 8:30
日本 11:06

在学校時間の違いとともに、他国は45分の休憩時間をとることができているのに対して、日本では20分という。これって法律に抵触していない?「働き続けるには仕事量が多すぎる」と考えているフィンランドの教師は2.9%であるのに対して、日本の教師は74.2%という疲弊した現場を想起させる値である。

フィンランドでは文化財の量としても図書館が多く存在し、多くの市民が徒歩で図書館まで行ける。また、Sisuと言われるどんな困難にも立ち向かうフィンランド流の精神がが背景にあるようだ。逆境から立ち直る力、困難に直面してもくじけない強い心のことであり、何か日本の武士道精神を想起させるものがあるが、フィンランドの教育が世界一と賞賛される背景には単に教育システムだけではなく、生活環境、社会環境、伝統文化などがあるようだ。このような文化インフラや文化的要素までを考慮すると、すぐにフィンランドの教育や社会環境を真似できるわけではないだろうが、財政的問題はあるにせよせめて教師の労働条件を改善することができなければ教育崩壊の危機である。コロナ禍の現在は教育崩壊よりは医療崩壊の方が喫緊の危機ではあるが、不作為のままでいれば長期的には日本は体力を失うのではないだろうか。

なお、Sisuに関しては

Finding SISU フィンランドの幸せメソッド
  Katja Pantzar(カトヤ パンツァル)著 (訳)柳澤はるか

を参考にした。著者はアイススイミングをどんな天候の日でも毎朝実践していて、その後はやはりどんな天候の日でも自転車で出勤しているという。私はどんなに晴天に恵まれても、冬のフィンランドでアイススイミングはしたくない。

また、以下の本はフィンランドの教育について母親の視点から個人的経験を通して紹介している。

フィンランドの教育はなぜ世界一なのか』岩竹 美加子(著)

日本では福祉というと社会的弱者への支援という意味合いが強いが、フィンランド語のhyvinvointi (well being)は体感と直結した感覚で快適さ、満足感、安心、自信、健康など幅広い意味をもつという。就職したのちに大学院で学ぶ人はどの国でもいるだろうが、フィンランドではごく普通のことで、働いたり学んだりしながら生き方を模索しているようだ。