『国際法』(ちくま新書) 大沼保昭 著

2018年10月に逝去された大沼保昭氏の遺作『国際法』(ちくま新書)をひもといてみたのでメモを記しておく。

 

著者の訃報は読売新聞で知った記憶があり、新書ということもありいつか読んでみてみようと思っていた。
ちくま新書中公新書よりは「柔らかい」という印象があり、一般向けに出版されている本なので普通に読めるだろうと高をくくっていたが誤りだった。
新書とはいえ400ページを超え、法学関係の素養のない私には正直、途中で読了を断念しようかとも思った。しかし、本書の最後に記されている娘さんによる「謝辞」の項

を読み、著者の思いに後押しされて読了できたのかもしれない。

勿論、読了できたことは必ずしも理解できたことを意味しない。
本書の中で「文際的視点」という言葉を初めて目にしたが、「前近代の多様な文明圏に存在した文化・文明の思考様式を取り入れて認識しようとする視点」とのことであるが

、せいぜい定義としては理解できたとしても、相当な教養がある人でなければとてもできるものではないと思った。法学者だけでなく一般国民も国際法の一定の知識を身につ

けることが望ましいことではあっても、文化の領域の中で娯楽的なものが多くを占めているような状況の中で果たしてどれほど期待できるものだろうかと冷笑的な態度もとり

たくなる。

 

本書は、亡くなる前日までペンを握り、病床で命を削りながら仕上げたものだという。
なぜここまでして「生きた国際法」の新書を送り出そうとしたのか?

 

最終章で「世界における日本の経済的地位と影響力が低下していくことがあきらかな二一世紀だからこそ、わたしたちは経済力に代わる「知の力」(ソフトパワー)である国

際法を身につけ、それを武器としてしたたかに国際社会の荒波をわたっていくべきである。」と述べられた箇所の注(19)は、娘さんからの「国際法の未来への可能性、夢

をもう少し語ってほしい」とのコメントへの応答としてのメッセージが記述されたものとのこと。

注(19)の後半部分を引用・紹介する。

「これに反して国際法を軽視し、その活用を怠った第二次世界大戦では日本は、約七〇〇〇万の人口のうち三〇〇万以上の犠牲者を出し、国家滅亡の危機に瀕したのである。

この教訓は重要である。その教訓とは、国際法とは日本国民が身につけ、活用すべきものだということにほかならない。」

 

私たちが二一世紀を生きていくうえで、国際法についての一定の知識をもち、様々な問題について国際法の観点から考えるようになるための素養を身につける必要があるとい

う。本書をそのような契機とすることができるかどうかは江湖に委ねられていると思う。